歴史的なPK戦
「PK」はもはやサッカーじゃありません
その試合の決着をつけるためだけの別の種目です
2021年5月27日「20-21UEFAヨーロッパリーグ ビジャレアル vs. マンチェスターユナイテッド」の決勝がポーランドのグダニスクスタジアムで行われました。試合は互いにゴールを決めるも延長を含めた120分では決着がつかず、PK戦までもつれ込みました。
両チームのフィールドプレーヤー20人全員がPKに成功。そして21人目のキッカーは先攻ビジャレアルのキーパーの「ヘロニモ・ルジ」。ルジが成功して、後攻マンチェスターユナイテッドの「ダビド・デヘア」がルジに止められ、ビジャレアルの初優勝が決まりました。公式記録は「(11-10)でビジャレアルのPK勝ち」でした。
カップ戦など勝敗を決着を付けなくてはならない試合で採用されるのがPK方式です。FIFAワールドカップや欧州選手権、チャンピオンズリーグや各国のカップ戦などで、そこには「勝者と敗者」が生まれ「歓喜と悲哀」が凝縮されます。
選手たちをはじめ、クラブに関わる人すべての人生が変わってしまうこともある大きな勝負ごとを決してしまうのが「PK戦」なのです。
Jリーグ 公式戦におけるPK方式
当時は(現在でも)各国のリーグ戦でPK方式が採用されることは珍しいことでした。Jリーグ開幕年の1993年シーズンは、「90分で決着がつかない場合 前後半15分のⅤゴール方式の延長戦を行い それでも決着がつかない場合はPK戦を行うという完全決着方式」。このレギュレーションは、1998年シーズン終了まで6シーズンの間で採用されてました。
実際にJリーグ公式戦でPK戦がいつ行われたかを調べてみると、1993年の開幕前年の1992年にプレ大会として開催された記念すべき第1回目の「’92Jリーグヤマザキナビスコカップ」でした。
しかもこの大会でのPK戦はサドンデス方式で、両チーム1人目のキッカーが成功か失敗するかだけでも勝敗が決するという世にも恐ろしいルールだったのです😨
📝Jリーグ 公式戦での最初のPK戦
- ’92Jリーグ ヤマザキナビスコカップ 第7節
横浜フリューゲルス 0ー0(0-1) ジェフユナイテッド市原
横浜F:× 池ノ上俊一
【先】市原:〇 パベル
92年10月3日 横浜F vs. 市原@国立西が丘サッカー場
最初のPK戦で伝説となった試合
Jリーグにおけるリーグ戦で最初にPK戦は、伝説となっている試合です。
大雨の影響で水浸しとなったピッチで対戦した「名古屋グランパスエイトvs.横浜マリノス」は、120分戦って「1対1」。リーグ戦における初のPK戦に突入します。
「名古屋4-3横浜M」で迎えたマリノス5人目のキッカーは「三浦文丈」。完全にキーパー「伊藤裕二」の逆をついたボールを蹴りましたがボールは失速。ボールはゴールラインを割ることなくクリアされて、名古屋がPK戦を勝利しました。
- ‘93Jリーグ サントリーシリーズ 第3節
名古屋グランパスエイト 1ー1(4-3) 横浜マリノス
【先】名古屋:×米倉誠/〇沢入重雄/〇森山泰行/〇リネカー/〇藤川久孝
横浜:×エバートン/〇井原正巳/〇ビスコンティ/〇ディアス/×三浦文丈
93年5月22日 名古屋 vs. 横浜M@名古屋市瑞穂球技場
PK戦における記録的な試合
2020年2月8日 さいたまスタジアム2〇〇2で行われた「FUJI XEROX SUPER CUP 2020 」は、25年ぶりとなる記録的な試合になりました。
前年リーグ王者の「横浜F・マリノス」と天皇杯優勝の「ヴィッセル神戸」が対戦。互いにゴールを奪い合い90分で決着つかず、試合は「3-3」。この大会は延長戦はないので すぐにPK戦に突入しました。そしてこのPK戦において、両チーム合わせて何と「9人連続失敗」するという前代未聞の出来事が起きたのです。ちなみに試合はこのPK戦を制した「ヴィッセル神戸」が初優勝しました。
PK戦で「9人」が失敗するのは、両チーム合わせて「28人」がキッカーを務めた1995年3月29日の「サントリーシリーズ 第4節 浦和 vs. 名古屋@国立」以来、「25年ぶり2度目」の出来事です。
ちなみにJリーグの公式戦での「PK戦の最多連続失敗」は、1993年7月3日の「サントリーシリーズ 第15節 横浜Fvs.Ⅴ川崎@長崎」での「5人連続失敗(エドゥー→三浦知良→モネール→北澤豪→岩井厚裕)😅😅😅😅😅」という記録が残されています。