Jリーグ9年(平成13年)
「浦和レッズ」と「コンサドーレ札幌」がJ1に復帰!⚽
2001年シーズンも「J1」と「J2」の2部制で、「自動昇格」「自動降格」が「2枠」設定。「J1」の年間順位の下位2チームと「J2」の上位2チームとで入れ替えになります。
「コンサドーレ札幌」と「浦和レッズ」がJ1復帰。また「ヴェルディ川崎」がホームタウンを「神奈川県川崎市」から「東京都」へとJリーグ史上初の移転し、チーム呼称も「東京ヴェルディ1969」に変更。これにより「FC東京」との「東京ダービー」が誕生しました😃
「フィリップ トルシエ監督」率いる日本代表は、6月に「FIFAワールドカップ KOREA/JAPAN」のプレ大会である「FIFAコンフェデレーションズカップ2001」に出場して決勝進出。
これはFIFA主催のA代表の世界大会として男女を通じて初の快挙でした。しかしフランスとの決勝に敗れて惜しくも準決勝🥈
- コンサドーレ札幌 ← J1昇格(J2 1位)
- 鹿島アントラーズ
- 浦和レッズ ← J1昇格(J2 2位)
- ジェフユナイテッド市原
- 柏レイソル
- FC東京
- 東京ヴェルディ1969 ← ヴェルディ川崎
- 横浜F・マリノス
- 清水エスパルス
- ジュビロ磐田
- 名古屋グランパスエイト
- ガンバ大阪
- セレッソ大阪
- ヴィッセル神戸
- サンフレッチェ広島
- アビスパ福岡
J2リーグ 3年目
「J2リーグ」の2001年シーズンは、「京都パープルサンガ」と「川崎フロンターレ」がJ1から降格、「横浜FC」がJFL(1位)からの昇格クラブです。「12クラブ」による4回戦総当たりによる「全44節」が行わました⚽
「京都パープルサンガ」がリーグ優勝して1年でのJ1復帰。また「ベガルタ仙台」が2位となり、東北地方のJリーグクラブとして初めてJ1昇格を果たした😀
- ベガルタ仙台
- モンテディオ山形
- 水戸ホーリーホック
- 大宮アルディージャ
- 川崎フロンターレ ← J2降格(16位)
- 横浜FC ← JFL1位
- 湘南ベルマーレ
- ヴァンフォーレ甲府
- アルビレックス新潟
- 京都パープルサンガ ← J2降格(15位)
- サガン鳥栖
- 大分トリニータ
大会レギュレーション
2001年シーズンのJ1は、16チームによる「ホーム・アンド・アウェー」2回戦総あたりの「2ステージ制」。勝ち点は90分勝利が「3」、延長戦勝利は「2」、引き分けの場合は両チームに「1」というレギュレーション。なお「Vゴール方式」の延長戦に入った場合、選手の交代が「4人」まで行えるようになりました⚽
シーズン途中「FIFAコンフェデレーションズカップ2001」が開催されたため、スタジアムおよび日本代表チーム合宿の日程を確保する目的で、5月中旬から約1か月の中断期間が設けられました😃
2000年まで3年連続で11,000人台で推移していた平均観客動員数が、2001年は「16,548人」に回復しました。翌2002年にアジアで初めて開催する「FIFAワールドカップ KOREA/JAPAN」への期待、そしてサッカーへの関心の高まりが主な要因だと言われています。
さらに大会に向けて建設されたアジア最大級、国内最大のサッカー専用スタジアム「さいたまスタジアム2〇〇2」も2試合だけの開催ですけど貢献したかなと。こけら落しとなった2001年10月13日の「浦和 vs. 横浜F・マリノス」は「60,553人」と当時のJリーグ最多となる観客記録でした📝
- 2001年3月10日~7月21日/8月11日~11月24日
- 16チームによるホーム&アウェイの2回戦(ホーム&アウェイ 計240試合)
- 2ステージ制
- 1st 優勝:ジュビロ磐田
- 2nd 優勝:鹿島アントラーズ
- サントリーチャンピオンシップ (2001年12月2日@エコパ、12月8日@カシマ)
ジュビロ磐田 vs. 鹿島アントラーズ
第1戦 磐田 2-2 鹿島/第2戦 鹿島 0-0(延長1-0) 磐田 - 年間チャンピオン:鹿島アントラーズ(2年連続4度目)
- MVP:藤田俊哉(磐田)
- 得点王:ウィル/24ゴール(札幌)
- 新人王:山瀬功治(札幌)
- 最優秀監督:鈴木政一(磐田)
🏆第9回 ナビスコカップ優勝:横浜F・マリノス(初優勝)/準決勝:ジュビロ磐田
🏆第81回 天皇杯優勝:清水エスパルス(初優勝)/準決勝:セレッソ大阪
鹿島の年間優勝を決めた小笠原満男 伝説のフリーキック🏆
大会記録
- 最多観客試合 60,553人
2001年10月13日 2nd 第8節 鹿島 vs. 柏@埼玉スタジアム2〇〇2 - 最小観客試合 4,014人
2001年10月31日 1st 第7節 市原 vs. G大阪@市原臨海競技場 - 最多得点試合 神戸 3ー6 清水
2001年10月13日 2nd 第8節 @神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 - Jリーグ通算 7,000ゴール 久保竜彦(磐田)
2001年5月12日 1st 第9節 広島 vs. C大阪@広島スタジアム
世界の舞台で見たかったN-BOX
「N-BOX」の世界進出ならず…😧
「ジュビロ磐田」は、98-99シーズンの「アジアクラブ選手権」(現 AFCチャンピオンズリーグ)で初優勝し「アジアスーパーカップ」も制覇。さらに99-00と00-01シーズンは「アジアクラブ選手権」に準優勝していました🏆
そして2001年7月にスペインで開催予定の「クラブ世界選手権」に出場することになっていました。当時、銀河系軍団と称されていた「レアル マドリード」も出場する大会に向けて、磐田は「N-BOX」という新たな戦術を編み出しました。
「N-BOX」は、「名波浩」を囲うように「服部年宏」と「福西崇史」のボランチ、「奥大介」と「藤田俊哉」の攻撃的MFを配した形です。箱型に配置された形から「サッカーマガジン」が「N-BOX」と命名したと言われています📝
Jリーグ史上最強のチームと呼ばれた(ている)「ジュビロ磐田」が、当時の「レアル マドリード」とのどんな試合になるのかと注目が集まりました。しかし広告代理店が破綻したことにより、大会は中止になり対戦は実現しませんでした。ちなみにサッカー用語での「N-BOX」は、ホンダ製でなくヤマハ製のサッカーの戦術用語です📦
当時の「ジュビロ磐田」でエースストライカーだった「中山雅史」さんが、「N-BOX」を自身のYouTubeチャンネルで語っていましたので、こちらもご覧ください💻
「横浜FC」は奇跡の復活クラブ!
「横浜フリューゲルス」消滅、そして「横浜FC」が誕生という奇跡!
2001年からJ2に参加している「横浜FC」。その前身は1998年に消滅してしまった「横浜フリューゲルス」。そのクラブのサポーターを中心に誕生しているという奇跡の復活を遂げたJクラブです⭐
1998年12月に設立1999年にJFLに参戦。元日本代表、日本人初のブンデスリーガでもある「奥寺康彦GM」と元ドイツ代表でジェフ市原で活躍した「リトバルスキー監督」体制で、1999年の第1回JFLを優勝、翌2000年第2回JFLも優勝して、2001年からJ2昇格。そして2007年にはJ1に初昇格を成し遂げます😉
上部にある青いリボンは、1998年の「横浜フリューゲルス」存続活動において「青い翼運動」としてサポーターたちが身につけていた、青いリボンに由来しています。
1998シーズンの終盤からは、フリューゲルスの選手たちもユニフォームの袖にこのリボンをつけて
試合に臨むなど、「青いリボン」はフリューゲルス存続活動、そして「横浜FC」創設の原動力となりました。
また下部にあるフェニックスは永遠のシンボルであり、フリューゲルスの消滅を受け、新しい市民クラブとして生まれ変わった横浜FCを象徴しています。(横浜FC公式ホームページより抜粋)