Jリーグ3年(平成7年)
毎シーズン順調に参加クラブが増えて 楽しみな対戦が増える一方、Jリーグ人気にも陰りが,,,😢
1995年シーズンは、「柏レイソル(日立製作所)」と「セレッソ大阪(ヤンマー)」がJリーグに加わり「全14チーム」に。この年、勝ち点制が採用され「90分勝利」「Vゴール勝利」「PK戦勝利」に勝ち点3、「PK戦負け」は「勝ち点1」に。さらに選手交代が3人まで行えるようになりました。
この年の1月17日に阪神淡路大震災、3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件と、世紀末を思わせるような事件が発生し 暗い雰囲気が日本を漂いました。
そんな中、プロ野球では「がんばろう神戸」を掲げた「オリックス・ブルーウェーブ」がパ・リーグで優勝。そして「イチロー」は大活躍。アメリカに渡った「野茂英雄」は、メジャーリーグで鮮烈なデビューを飾り 新人王を獲得しました。
一方Jリーグは、世間的に話題になることが少なくなり、地上波での生中継の視聴率が低調に。中継試合数も少なくなり、新しいプロスポーツビジネスであった「Jリーグ」は苦境に立たされました。
- 鹿島アントラーズ
- 浦和レッズ
- ジェフユナイテッド市原
- 柏レイソル (JFL2位)
- ヴェルディ川崎
- 横浜マリノス
- 横浜フリューゲルス
- ベルマーレ平塚
- 清水エスパルス
- ジュビロ磐田
- 名古屋グランパスエイト
- ガンバ大阪
- セレッソ大阪(JFL1位)
- サンフレッチェ広島
大会レギュレーション
1995年も「ファーストステージ(サントリーシリーズ)」と「セカンドステージ(NICOSシリーズ)」の2ステージ制。全14クラブとなりリーグ戦の試合数が大幅に増加しました。
さらに6月に日本代表がイングランドで開催される「アンブロカップ」に参加するため、サントリーシリーズ 第16節終了後に約1ヶ月の中断期間が設けられたこともあり、週2回での開催スケジュールになりました。といったこともあり この年は「ヤマザキナビスコカップ」は開催されませんでした。
なお「アンブロカップ」では、「イングランド」「ブラジル」「スウェーデン」と対戦して「1分け2敗」。聖地・ウェンブリー・スタジアムでのイングランド戦で井原正巳がゴールを決めましたが、ブラジル戦ではロベルト・カルロスに左足での強烈なゴールを決められています。
Jリーグ3年目にして日本人選手初の得点王が誕生!
福田正博が元イタリア代表のスキラッチとの得点王争いを制しました⚽
- 1995年3月18日~11月25日
- 14チームによるホーム&アウェイの2回戦(182試合×2ステージ 計364試合)
- 2ステージ制(1st:サントリーシリーズ 2nd:NICOSシリーズ)
- サントリーシリーズ 優勝:横浜マリノス
- NICOSシリーズ 優勝:ヴェルディ川崎
- サントリーチャンピオンシップ (1995年11月30日、12月6日@国立霞ヶ丘競技場)
横浜マリノス vs. ヴェルディ川崎
第1戦 横浜M1-0V川崎/第2戦 V川崎0-1横浜M - 年間チャンピオン:横浜マリノス(初優勝)
- MVP:ストイコビッチ(名古屋)
- 得点王:福田正博/32ゴール(浦和)
- 新人王:川口能活(横浜マリノス)
- 最優秀監督:ベンゲル(名古屋)
🏆ナビスコカップ優勝:開催なし
🏆第75回天皇杯優勝:名古屋グランパスエイト(初優勝)/準決勝:サンフレッチェ広島
大会記録
- 最多観客試合 56,652人
95年5月3日 サントリーシリーズ 第13節 浦和vs.V川崎@国立霞ヶ丘競技場 - 最多得点試合 平塚 7ー0 鹿島
平塚:中田英寿(J初ゴール!)、野口幸司5、ベッチーニョ
95年5月3日 サントリーシリーズ 第13節 平塚 vs. 鹿島@平塚競技場 - Jリーグ通算 2,000ゴール エジソン(平塚)
95年8月12日 NICOSシリーズ 第1節 V川崎 vs. 平塚@等々力陸上競技場
満員の国立での激闘!浦和 vs. V川崎
この年、最多観客を集めた国立霞ヶ丘競技場での「サントリーシリーズ 第13節 浦和レッズvs.ヴェルディ川崎」。リーグ戦とは思えない試合展開で延長戦、PK戦までもつれ込んだ激闘となりました。