クラブ史上初となるJ2昇格ほぼ決定
ホーム最終戦@藤枝⚽
2022年11月14日 日曜日「藤枝総合運動公園サッカー場」で行われた「J3リーグ 第33節」の「藤枝MYFC」vs.「福島ユナイテッドFC」を現地観戦⚽
いよいよ現実味を帯びてきた藤枝MYFCのJ2昇格。2022年シーズンは、新型コロナウイルスの影響や台風15号による被害など、数々のトラブルを乗り越えてきたチームんぼ目標達成が目前に迫ってきました。迎えたホーム最終戦は、雨が時おり強く降る「藤枝総合公園サッカー場」で行われました。
第33節の時点でJ2昇格の可能性があるのは、2位「藤枝MYFC」3位「鹿児島ユナイテッドFC」4位「松本山雅」5位「FC今治」6位「カターレ富山」の5チームに絞られていました。
2位「藤枝MYFC」は、3位以下チームに対して、勝ち点で3差以上、得失点差で大きなアドバンテージを確保していますで、この試合に勝利すればほぼJ2昇格を決めることになります。
ホームスタジアムの「藤枝総合公園サッカー場」は、9月23日の台風15号がもたらした「浸水と土砂の流入により、公園の全域に関わる電源と給排水の主設備が甚大なダメージを受け、現在のところ、復旧の目処が立たない状況」にという状況でした。
DAZN中継で見ていたものの、現場を見るとその被害の大きさを感じてしまいます。大きな痛手を負ったスタジアムのバッグスタンドは、復旧工事で使用しているパワーショベルが置いたままになっているという異様な状況下で、ホーム最終戦を迎えました。
藤枝MYFC vs. 福島ユナイテッドFC
⚽藤枝MYFC 3-1 福島ユナイテッドFC
🗾藤枝総合公園サッカー場
🎫3,244人
超攻撃サッカーの醍醐味
J2昇格を目前に控えた「藤枝MYFC」のホーム最終戦。雨予報の中、スタジアムに多くの観客が駆けつけました。10月9日に行われた「松本山雅」との大一番に勝利した試合の観客数に迫る「3,244人」。J2昇格への期待の高さがうかがえました。
近くに座っていた人は「駐車場が停められなかったから、一度帰ってタクシーで来た」と言っていました。それほど異例の集客だったようです。
無料で配布されていたマッチデープログラムでは、須藤大輔監督が表紙を飾り、“3点取られても4点取って勝つ”超攻撃的なサッカーを掲げ、「最高のエンターテインメントサッカー」という旗印のもと、今季はリーグ2位の得点力を誇っていまいた。
試合は立ち上がりから積極的にゴールを目指す、まさに超攻撃的サッカーを展開する藤枝。32分に店舗の良いワンタッチパスがつながり、キャプテン・鈴木惇の浮き球のパスから横山暁之が先制ゴールを決めてみせました。
その直後、雨足が強まり、濡れたピッチに足を取られた相手選手からボールを奪って、ふたたび横山暁之が連続ゴールと、ホームのサポーターを沸かせる。幸先の良い先制点を奪った藤枝。
対する福島は、36分に橋本陸の鋭いクロスボールから諸岡裕人がゴールを決めて1点差に。エンドが代わった後半、66分にエリア内での混戦からのこぼれ球を鈴木惇がシュート。これが相手選手に当たり、軌道が変わってゴールネットを揺らしました。
キャプテンマークを巻いて覚悟を持って戦ってきた鈴木惇が試合を決めるゴール。選手はもちろん、ベンチ、スタンドは、この日一番の盛り上がりとなりました。サッカーの神様は最高のご褒美を用意してくれていました。
来季のJ2で静岡ダービーが開催!!
ホーム最終戦に勝利した「藤枝MYFC」。勝ち点で並んでいた松本山雅が敗れたことで、J2昇格が決定的に。この日の3ゴールで今季の得失点差が「+29」となった超攻撃的サッカーが最後の最後で昇格への決定打となりそうです。
残り1試合で昇格の可能性を残すのは、2位藤枝(勝ち点66、得失点差+29)、3位鹿児島(勝ち点63、得失点差+14)、4位松本(勝ち点63、得失点差+12)の3チームに絞られましたが、勝ち点で並ばれたとしても得失点差で優位な藤枝が昇格をほぼ決めることとなりました。
マスコットキャラクターの「蹴とばし小僧」は想像以上に可愛かった。来シーズンのマスコット投票でも上位を目指して欲しい。ちなみに不死鳥のフェニックスがモチーフだそうです。
2023年シーズンに藤枝がJ2へ昇格となると、J2に陥落した静岡県の2チーム(清水エスパルス、ジュビロ磐田)と対戦する新たな「静岡ダービー」が始まることに。「サッカー王国・静岡」からJ1クラブが消滅してしまうのは、とても残念だと思いますが、J2での試合が盛り上がる対戦カードが増えることなりそうです。
「清水エスパルス」はJリーグ開幕元年の1993年に「オリジナル10」。1994年には「ジュビロ磐田」もJリーグに仲間入り。その同じ年、藤枝でも1982年創設の「中央防犯サッカー部」を「中央防犯FC藤枝ブルックス」と改称し、将来のJリーグ入りを目指していました。
しかしホームスタジアムとして使用を予定していた「藤枝総合運動公園サッカー場」の完成予定が2002年(10年後?!)で、さらにすでに静岡県内には、清水エスパルスとジュビロ磐田があったため、ブルックスは、福岡県福岡市からのチーム誘致の要請を受ける形で、遠く九州に移転することに。
そして1995年にホームタウンを福岡へ移転して「福岡ブルックス」となり、翌96年に「アビスパ福岡」となってJリーグ参入することに。そして19年の時を刻んだ2014年、藤枝市に新たなJクラブ「藤枝MYFC」が誕生しました。ちなみにクラブ名称の「MYFC」はわたしの(MY)フットボールクラブ(FC)に由来しているそうです。
親戚関係のような「藤枝MYFC」と「アビスパ福岡」。その福岡の育成組織で育ち、合計11シーズンに渡って支えた「鈴木惇」が、藤枝でキャプテンマークを巻いて、J2昇格に導くというこの巡り合わせ。来シーズンの藤枝の試合が本当に楽しみになりました。